写真で見る徳島県生連の歴史..
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1960年代


1964年1月  19日結成総会(徳島市・阿南市・鴨島・
                               大麻)
          19日牟岐発足

          第10回全国総会で(全生連に正式加盟)


戦後の生活苦・失業・病気が広がる中で、
食わせろ!病気をなおせ!仕事をよこせ!
家族が生きる切実な願いをかかげての出発です。
ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために!
人間らしく生きたい、その原点は今も変わりません。



義務教育は無償!」の運動で就学援助制度も
改善されていきました。

あきらねず、粘り強く、
制度がなければつくらせる、拡充・改善させる、
広げることで、今のいろいろな暮らしに役立つ制度が
あります。


活動を知らせ、会員どうしのつながりをつくる
機関紙(新聞)も発行されるようになりました。

1970年代




老人医療の無料化が勝ち取られました。


健康班会も始まりました。


サンタさんは、故竹谷元会長。
    班や分会、全体でも
    日常要求も楽しく活発に取り組まれるようになりました。
    クリスマスのダンスパーティー。

1980年代




分会毎にがんばった大運動会。
第1回は周辺の連合チームが優勝しました。


婦人が活発に売上税反対の宣伝行動。
家族の健康を支える婦人活動が守る会を
活発にしてきました。


守る会のパンフの表紙にもなりました。


全国に先がけて資格証明書(国保の保険証の取り上げ)
の大量発行に抗議。
「福祉が人を殺す」時代に、犠牲者が相次ぐ。
医団連の全国調査のあと、「命にかかわる」と
資格証明書を原則中止させました。

1990年代




徳島で初めて、全国活動者会議が開かれました。
もてなしの心を一つにがんばりました。


第十堰住民投票を成功させ、勝利し可動堰計画を白紙にさせました。
有効投票である投票率50%のハードルを超えました。

2000年代



前々知事の汚職逮捕のあと、長く続きませんでしたが、
大田民主県政が誕生しました。
「談合の海」と言われていた中で、汚職調査団を
立ち上げ、少人数学級も実現しました。
毎年、社会保障費を2200億円削減する
弱肉強食の小泉構造改革で、自己責任
論での社会保障切り下げ・切捨て。生活
保護や国保の保険証取り上げで尊い命
まで奪われる事態になりました。

不当な人権侵害に、当事者を中心に、
励ましあいながら、県・国に不服の申し立
てや裁判で闘っていきます。


あきらめないで、泣き寝入りしないで、
力を合わせて、生存権を守る運動をずっと
すすめています。
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